2012年04月01日

原発事故の加害者は将来の「推定無罪」を狙っている。

今日は平成24年4月1日。
あの原発事故発生から1年以上が経った。

原発事故そのものも
責任の所在がいまだにあいまいであること
いや、それゆえに
さまざまな問題の解決を後らせる結果となっている。

私たち被災者側から言えば「賠償問題」の遅れ。
直接請求についてどこまでの範囲で賠償が行われているのか
知らないが、
ADRの方も時間がかかっている。
こうなれば裁判も視野に入れなければならないかもしれない。
その一方で東電では
被災地を3つに分け
私たち帰還困難地域の人に対しては
向こう5年間で600万円の精神的損害(いわゆる慰謝料)
を支払うと言ってきたが、
じつは先に東電が月10万円と言っていたことと
全く同じ金額である。月10万円×60か月=600万円なり。
また計画的避難解除地域については
向こう2年間で240万円だという。

私はただただ賠償金の多い少ないのみをあげつらうわけではない。
示された5年や2年の意味がよく理解できないのである。

帰還困難者にとっての「5年」がどのような意味を持ち、
計画的避難解除をされる者にとっての「2年」にどんな意味があるのか?

たぶん2年したら、5年したら帰れるという意味ではないだろう。
当面の被災者の怒りや不満をとりあえず慰撫する、または矛先を変えるため
の対症療法としての時間稼ぎにしか思えない。

被災地については「除染」やその後のビジョンの不明確さである。
そもそも除染自体可能なのだろうか?
たぶん不可能に近いだろう。
ならばその除染に国家規模の予算を組む意図がわからない。

いや、よく分かるといえばいいか。
これも結局は原発事故による放射能汚染が時間の経過によって、
はたまた人的な行為によって解決可能であるかのようにして
事故がもっている本質的な問題をすり替えようとしているに違いない。

人々は、被災者は
数年後には除染を終えた安全な故郷に帰れる夢を見せられることとなる。

しかし残念なことに故郷は回復しない。

時間の経過とともに進むのは除染の効果ではなくて
故郷への帰還に対する当人および世界の関心の
希薄化であろう。

本当の加害者は誰なのか?
その加害者は被害者に対して
どのようなことをすべきなのか?
あるいはしてはいけないのか?

法律用語に
「推定無罪」という言葉がある。
怪しいだけでは有罪にはできない、よって無罪になる。

東電は国と謀り、
ややもすると押されてしまう世論に背を向けて
将来獲得できるかもしれない「推定無罪」という判決を
狙っているとしか思えない。

以上、チラシが入って久々に忙しかった日曜の夕方
少したまった疲れを持て余しながらの現場からでした。  

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2012年03月28日

平成24年3月28日の状況

ず~と何も書けないで来ていた。

ブログなんてちょっとの間に書けそうに思うかもしれませんが
私のように推敲につぐ推敲を経て書くタイプには
それなりに落ち着いた環境がないとダメなようです(笑)。

現在の私の生活はと言えば
福島県田村市船引町船引字原田9の
ふねひきパークに店舗がスタートした
3月8日の少し前から
一挙に忙しくなり
3週間が経とうとしている現在も
全く落ち着かないです。

その間に一緒に郡山市内の
築昭和54年のマンションでの生活を
共にしてきた次男坊と甥が
それぞれの就職先に旅立ってしまい
独りぼっちになってしまいました。

文字通りの単身赴任生活。

人は自分のためだけに生きているのではないことを
改めて実感しています。
いろいろな生活の場面場面で何にも言葉が返ってこないのはやはり
さびしいわけで・・・・

長男と長女は埼玉県羽生市と加須市のそれぞれの
介護施設の仕事を開始、
次男も明日から埼玉県内のSMで仕事を始めます。

それにともなって来月早々にはさらにバタバタしそうです。
よって、またしばらくはブログを更新できそうにありません。

数人の方からブログはどうしたとの声をかけて頂きましたが
もうしばらく時間をください。
  

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2012年02月24日

関東大震災と富士山噴火に関して

ポカポカ陽気で少しばかり
ホッとしている。
しかしまだ2月。油断はできないが
それでも少しずつ春に近づいている。

最近読んだ
ゴマブックスの新書
『未来予言2015』には
関東大震災に関する予言が出て来る。
それによれば
今年以降日本は
色々な意味で激動の時を迎えつつあるようだ。
そして心配される
富士山の噴火についての記載もある。
関東大震災と富士山噴火がどう連動するのか
詳細は読んでいただいてからになるが
全く無関係ということはないだろう。

人は強烈な不安を抱えると
宗教や占い、予言のようなものを
よりどころとしてしまいがちだが、
心情としてよく理解できる。
かくいう私もその例に漏れない。

しかし、私の場合は
随分と以前から
自分なりの興味をもって
それらにかかわるであろう本を
本当に多く読んで来たので
ちょっとやそっとでは驚かないが
いざ富士山の噴火や
関東大震災に関わる日付が示されてみると
穏やかではない。

先のブログにも書いたように
私の3人の子供たちは
それぞれ埼玉県に仕事を見つけ
たぶんそこで長く生活するだろうから
関東大震災や富士山噴火については
他人ごとではいられない。
勿論子供たちには
詳細を伝える。

しかし、それを信じるかどうかは本人次第だ。

実際のところ
今回の東日本大震災の発生についても
以前からそれらしい記述はあったし、
私個人は東日本大震災と関東大震災の
順番が違っていたくらいの感じなのだが、
いずれこんなこともあろうとは
了解していたようにも思っている。

いろいろなことを事前に予想することも大切なのだが
最も大事なことは
いざその時にどんな未来を描けるか、そして、
そのためにどんな行動を選択するかだろう。

筆舌に尽くせないほどの
被災者としての苦労の日々を過ごしながらも
どこかに明るい未来を抱いている自分を持っていないと
いよいよ自滅してします。
そうならないためには
次にめぐってくる明るい未来のために
常に何事かを、何ものかを準備し続けていることが
大切だろう。

そんなことを考えながら
ポカポカな二月末の青空を
窓越しにして
キーボードを叩いています。




  

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2012年02月21日

長男が就職できたことはうれしいに決まっているが

長男が埼玉県羽生市の
医療関係事務に就職が決まって
ホッとしている。
おかげさまで、3人の子供たちは
全員埼玉県に就職先が見つかったことになる。
長女は加須市の介護関係。
次男は川越市に本社のあるスーパーマーケット。
心配していた子供たちの就職問題も
これで一段落。

とは言っても
全員が埼玉県内に就職が決まったのは
今回の東電の原発事故が影響しているわけで
どこか釈然としないのも事実。
やや大げさに言えば
ああ人生ってこういうことでコースが決まってゆくのだ
と実感もしている。

実は私が中学生時代
それも旺文社の「中一時代」の
文通欄で
男子と文通したいと書いていた数人の中から
なんとなく見つけた女子に
手紙を書いたことから
その後10年もの間
(13歳から22歳くらいか?)
文通を続けたことがあり、
その彼女が埼玉県羽生市の人であったことは
家族は誰も知らないのだが、
今回の避難生活の中で
家族がいま寄宿している騎西高校は
加須市、羽生市の隣りであり、
長男はそこに世話になることになった
となれば何かの因縁を思わないわけではない。

実際東北自動車道を下りるのは
利根川をわたってすぐの
羽生IC。
あの大きな橋が見えると
私は「ああ帰ってきた」と、
ある種の感慨にふけっていることは
家族の誰も知らない。
まして或る時その彼女のことが熱烈に好きになったことがあり
ある日、あえなく断られたことも。彼女はすでに婚約していた。

ああ~息子がせっかく就職できたのに
こんな切ないブログを書いているなんて。

う~む、そんなわけで長男よ、おめでとう。



  

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2012年02月14日

第3回目の一時帰宅報告記

2月12日が第3回目の自宅への一時帰宅だった。

今回は私のほかに母、妻、長男、長女の計5名。
前々日の10日に埼玉県加須市まで迎えに行き、
11日午後、加須市の介護施設に就職した娘の
仕事が終わってから
家族5人で郡山市に向かった。、
やがて高校3年の次男が待っている私のアパートに到着し
本当に久方ぶりに(愛犬ののぞく)家族6人が揃った。

いや~いつ以来だろう、家族全員が揃ったのは。
もしかしたら震災直後の最初の避難所であった
川俣小学校以来かも知れない。
そうだとすれば10か月ぶり。
まったく理不尽だな。

12日の一時帰宅の受付時間は午前10時~12時。
それまでに指定された楢葉町のJビレッジそばの
「道の駅」まで行かねばならない。
当日は朝から雪が積もり、
雲の間から太陽が覗き始めたのは9時近くなってから。
途中の磐越自動車道は
融雪剤のおかげで
どうにか走りやすかったが
途中はテカテカに凍結している道を通って行った。

楢葉の道の駅に到着したのは10時半すぎ。
道の駅はちょうどその時間帯が混雑していた。
いつものように防護服一式を一人ずつ受け取る。
それぞれが袋から防護服を取り出して着込み、
一人一台ずつ線量計を首から下げ、
一路自宅へ向かった。

私は自宅へはこれまでに2回入っているが
何度通っても
時間の止まったままの国道6号線が悲しくてやりきれない。

だんだん自宅が近づいてくる。

今回はほぼ全壊状態の墓地を訪ねた。
私の家の墓石はすべて大きく倒れ、
母は声にならない声を出していた。

まもなく自宅へ向かう。
自宅も8月の時点に比べて相当に
情けなくなっている。
一番ショックだったのは
台所と一緒の居間の天井が
2か所大きく下がっている。
どうやら二階の娘の部屋のベランダの
排水溝が詰まったために
その大量の雨水などが流れ込んでいるようだった。
このまま放置しておいたら
梅雨時をすぎた夏ごろには
天井が落ちてしまうかも知れない。

家族はそれぞれの部屋に向かい
最低限のモノを持ち出した。
家内は家のあちこちの
壊れている個所を撮影している。

仏間からは母の
恨めしい声が
何度も何度も聞こえてくる。
切ない。

地震だけだったら
翌日からいろいろ対策が打てたのだが
立ち入りできない状態になったために
こんな有様になったわけで、
かえすがえすも
原発事故に対する
がまんならない思いが
湧き起ってくるのは
いかんともしがたかった。

首から下げた線量計をチェック。
すでに1時間半を経過した段階で
27マイクロシーベルト/H
ほとんど野外にいた家内のは
34くらいになっていた。
子供たちも30を超えたという。
今回も予定の時間を少し早め
1時半には帰途に就いた。

滞在時間は2時間程度。

この3月中には
国から一つの判断が示される予定だが、
私の家の周辺は「帰宅困難区域」になるだろう。
それを受けて双葉町が
次のアクションを起こすだろう。
例の「仮の町」構想だ。
双葉町をいったんどこかに造る。
しかし必ずしもそこは永住する場所ではない。
だからこそ「仮の」町なのだろう。

その時私はどう判断することになるか
分からない。

郡山市にもだいぶ慣れたが
ここも線量が高く
埼玉で就職しようとしている子供たちを
呼び寄せるには
一定の覚悟が求められるだろう。

次回第4回目の一時帰宅がいつになるのか?
その時どう思うかは
全く予想がつかないでいる。

そんなことを考えながら
車はいわきに着き
以前はよく家族で訪れたことのある店で
食事をした。

やはり何かが違っている。
私はパラレルワールドにいる!




  

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2012年02月09日

3回目の一時帰宅を控えての随感

いや~疲れている。

肉体の疲れはゆっくり風呂に入り
8時間くらいゆっくり眠ればいいのかもしれないが
精神的な疲労はなかなか取れない。

たまたま土曜日と日曜日に
大事なスケジュールが入ったために
ここ8日間仮事務所での仕事が続き
なんだかグッタリしている。

じゃあ休んじゃおうとも
思ったが
第3回目の一時立ち入りが
2/12に決まり
前日には加須市の騎西高校に
家族を迎えに行かねばならなくなり
2/11には郡山と加須市を往復し
2/12に一時帰宅で郡山と自宅を往復し
2/13には家族を送るために
郡山と加須市を往復しなければならない。
「ハイここで問題です。
3日間の走行距離はどのくらいになるでしょう?」
う~む
郡山と加須市間は片道190キロくらいだから
往復で380キロ。自宅と郡山では磐越自動車道で
広野経由だから片道100キロで往復200キロ?
よって380+200+380
うわ~今から楽しみだ。

ところで今回の一時帰宅では
震災による家屋の状況をカメラに収めてくる予定。
これまで2回バカチョンでチャレンジしたが
部屋が暗い上に
フラッシュの調子が悪かったりして用をなさなかった。
三度目の正直である。

何に使うかって?
JA共済の「むてき」に入っていたので
半壊と評価されるとそれなりの保険が下りるらしい。
そのためにもじっくり撮影してくるつもりです。

それにしても
私にとって自宅への一時帰宅は3回目となるが
いくつかのモノを持ち出すつもりで出かけるのだが
いざ玄関に立つと
いろいろな情報が一気に目に入ってきてしまい
また
いろいろな感情が喉まで上がってきて
冷静にはなれないのであった。

1回目は猛暑の8月、2回目は仲秋の10月
そして今回は厳寒の2月・・・・

放射線量も
一時に比べると全体的には落ち着きを見せてもいるが
私の家の周辺は圧倒的に高い数値を示し
20年たったって帰還は難しいだろう。

川内村長の帰村宣言について
行政の長として、また川内村への愛着として
理解もできようが
現実的な判断とは残念ながら思えない。

こんどの3回目の一時帰宅によって
私の老母は何を思い、何を願い
そして何をあきらめるのだろうか?
それを思うと無性に悲しくもなる。

一方若い息子や娘たちには
しっかり目を見開いて事実を見て来てもらおう。

次回のブログで報告いたします。
以上 現場からでした。

  

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2012年02月07日

祝 アクセス10000件

いや~不覚、不覚。
忙しさにかまけていて最近ブログを書かなかった
こともありアクセス10000件を超えていたのに
気が付かなかった。

でも僕にとっては通過点。
今後も一所懸命にブログを書いて行こうと考えています。

先日社員の何人かから
「読んでますよ」といわれ
まるで日記をのぞかれているような気分にもなったが
これは当たり前のこと。

ハングアイさん、読んでくれてありがとう。
ワタヌアベさん、ありがとう。
アラクワさんありがとう。
イカリ君の奥さんありがとう。
イカリ君ありがとう。

読んでくれている全世界のみなさん
ありがとう。

今日は10000件突破を祝って
一人で祝杯をあげようと思っている。  

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2012年02月01日

原発事故損害賠償請求をADRで一緒にやろう

みなさん 
私たちの会社のうちの数十人は
東京電力への損害賠償請求を
原子力損害賠償紛争解決センターによる
和解仲介
つまりADRによって行ってゆきます。

ADRは
できるだけ多い人数ですすめたほうが
いいです。

そこでみなさんに参加を呼び掛けます。

2月5日(日)10:00より2~3時間程度
郡山市喜久田町卸1-1-1
南東北総合卸センター 3階第9会議室
において
双葉町の「やさしい・・・申立書」をもとにした
書き方説明会を実施いたします。

直接請求によってすでに
賠償金の一部を受取っている方も
途中からADRに乗り換えることができますので
このブログを見て
参加したいという方はせひご参加ください。

なお、本来は参加者数把握するために
事前に連絡をもらうのですが
若干の増加であれば大丈夫です。

以上
多くの方の参加を待っています。   

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2012年01月26日

香港A型流行について考えるのココロだ。

「今年の郡山は例年よりも寒さが厳しい」
とは南東北総合卸センターに勤めている
社員の言葉である。
日本列島は偏西風の影響による
寒波を伴い
今日の郡山市内の内環状線道路は
テカテカでこの状態が数日続いている。

TVでも西日本の雪の情報を流しているが
日本はいま酷暑の夏と厳寒の冬という
極端な現象になっているのかもしれない。
しかしこれはどうやら
地球環境のせいではないらしい。

ある人々はエコロジー政策を推進することで
利益を上げようとしているらしく、
声高に「地球温暖化」の合唱をしているが、
実は地球は温暖化ではなく寒冷化しつつあるという
学者もいる。しかし、現状寒冷化では儲からない。
エコロジーにからむ利権問題は
十分に注視・監視してゆかねばならない。


最近気になったのは
鳥インフルエンザの研究が
60日間中断させられているという情報。
中断を命じたのはアメリカのある組織で
その理由は
今流行の兆しを見せている
鳥インフルエンザのメカニズムが解明され
広く報道されると
化学テロに使用される危険性があるから中断した
という理由そのものが理解できない。
理解できないどころか
その裏に隠された目的が
かえって明確になっているといえるだろう。

世界はすでに核の脅威によって
危うい均衡を保っている状況から
さらに進んで(これを進歩というのだろうか?)
ピンポイントで狙った敵を
効率よく殺傷するための
さまざまな化学兵器や
計画的に地震や自然災害を引き起こせる
地震兵器を手に入れているらしい。

数年前に中国の北京で
オリンピックが開催されている期間、
オリンピックというイベントは実に
経済的利益をもたらすらしく、
天候の影響で
競技の開催に変更が生じると
かえって経済的損失をまねくため
中国はその天候を意図的に変えようとした
という情報もあるくらいだ。

今回の鳥インフルエンザだって
実はある意図にしたがって
流行させられているかも知れないわけで
その結果
ある一部の製薬会社が莫大な利益を
得ることになる。
以前タミフルという薬が世界的に売れた
あの構図である。
タミフルではラムズフエルド元国防長官
が資本を出している会社がぼろ儲けしたという。

いま香港A型が一部の地域で猛威を振るっている
とのことだが
私たちにいまできることは
うがい・手洗い・マスクなどによる自己管理しかない。

そんなことを考えながら
凍った道路を運転していると非常に危険なので
くれぐれもご用心、ご用心。

以上 厳寒の郡山市からでした。



  

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2012年01月23日

双葉町団体賠償請求と2012年問題

1月21日埼玉県加須市騎西高校に帰った。
目的は
原発事故の被災八町村の中で
双葉町は独自に
埼玉弁護士会の協力を得ながら
ADR(原発事故紛争解決センター)を
介して賠償請求するということになり
その説明会に参加することであった。

説明は約1時間ながら
『やさしい・・・申立書』の書名にたがわず
年配者にもやさしい書式であった。

そしてなによりも
我々多くの被害者に対して
東電そして国こそが加害者である
という立場に貫いていて
わが意を得たりであった。

先の分厚い請求書のなんと事務的であったことか。
自分たちが賠償しなければならないという
切実さが全くない文書であり、
結果として冷淡で、取りつく島がないといったものであった。

これから僕の後半生のライフワークの一つである
国相手の「国民の一人としての賠償請求」が始まるんだ
というすこし大げさに言えば高揚した気分になったものだ。

日本の原子力に依存したエネルギー行政が
いかに非人間的、否、反人類的なものであったのか、
そして、それを国上げて推進してきたポリティックパワーの
犯罪性をこそ追究してゆかねばならない。

私個人は資源エネルギーとして
太陽光や風力、水力をもっと活用すべきだと考えている。

資本主義的な市場経済主義から言えば
費用対効果の点ではまだまだ困難なことも多かろうが
今の人類の知性を結集すれば
近い将来 大きな効果を発揮してくれるに違いない。
いや本来その方向に大きく舵を切るべきだ。

我々人類が地球上に出現してから
自然に対していかに傲岸なふるまいをしてきたのか。

2012年、いろいろなことが言われるが
実はこのような極めて存在論的な思考を深めてゆく
のにいい年にしなければならない。
その結果として
これまでと全く違う世界が生み出されるのだろう。
そういうことを2012年に地球は滅びて、新たな展開に入ってゆくのだ
とマヤの暦はシンボリックに示しているのだろう。

う~むなんて私のブログは思索的なんだろう。

ところでこのブログへのアクセス件数が
間もなく1万件になろうとしている。
これ自体さほど意味はないが
ちょうど10000回目のアクセスは誰がするのだろうか
個人的にはヒジョ~に興味を持っている。

そしてその時はこう言いたい。
「僕にとってはあくまでも通過点です。」

以上 現場からでした。



  

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2012年01月19日

「インディアンサマー」考

今日はやや穏やかな天候だ。

私の好きな言葉に「インディアン・サマー」がある。
どこかの国では「貴婦人の夏」というのもあるらしい。
どちらも耳にするたびに胸がキュンとなるが
理由はわからない。
日本では「小春日和」となって
時期的には1月のこの時期ではないと思うが
あの頭に鳥の羽を付けたインディアンの酋長が
深く入ったしわの間から
やや眩しそうに眼を細めているイメージがある。

我々にとってはまだまだ肌寒い気候も
非常に厳しい地域で生きている人々から見たら
あったかなのだろう。

このこと自体もいろいろ物を思わせられる。

私たちは常に相対的に存在しているに違いない。
いや私は絶対的にここにいるという方も
いるに違いないが
そこに「私がいる」ということは
自分以外の存在を前提として
はじめて成り立つものだ。

その意味では
私が私であるためには
常に私以外の存在が必要であり、
また人はそれを常に渇望している。

私に最も近い「私以外の人」こそ
妻であり、親であり、子供たちである。

やや穏やかな冬の日を過ごし、
思いついた「インデイアンサマー」という言葉から
そんなことを考える一日のなんと充実していることか。

以上 現場からでした。

  

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2012年01月16日

京都女子駅伝を見てしみじみ人生を思ったの巻

きのう京都女子駅伝をテレビで見た。
日本独自の駅伝という競技の妙味は
タスキをリレーしてゆくスタイルにあるだろう。
個人戦でありながら
団体戦でもある点も
見逃せない。

残念ながら福島代表は
第一走者の段階で
先頭から何分の遅れたために
レースに関する興味は薄れてしまったが
最後まで力走する姿には
感動させられた。

マラソンという競技が持つ
ダイナミズムと
センチメンタリズム。
これだよこれ。

人生もマラソンに例えられることが多いが
あの快走する姿や苦痛にゆがむ顔など
ほんと「人生」だな~と思う。

果たして私は今どんな格好で
どんな表情で走っているのだろうか。

後から自分の映像を見たときに
満足できる、納得できるものであればいいなと思う。

以上 現場からでした。  

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2012年01月12日

核爆発によって生かされているという事実に対するジレンマ

昨日から郡山も雪模様。
思っていたよりは早く溶けてくれるので
今のところ運転には支障がないが
1月末から3月にかけて
冬型の気圧配置になり
大雪を降らしたり
寒風が吹きすさぶことになると
路面凍結が最も心配される。

数年前に
山道を走行中
上り坂から大きくカーブした
下り坂に差し掛かった時
ライトに浮かび上がった路面の凍結に
思わずブレーキを踏んで
クル~と180度展開して
ガードレールにぶつかるまでの時間が
いまでもスローモーションのように
よみがえってくる私には
ちょっと駄目だな~。

車の運転ということを考えると
冬はあまりいいことがない。
静電気がバッチと来るは
路面は凍結するは・・・

皆さんも用心用心。

今回の雪は
太陽が出てくれたので
随分と溶けてくれた。

思えば
この太陽の恩恵は実に大きい。
人類レベルで考えれば
ある民族にあっては太陽信仰というものがあり
生活の細部にまでこの信仰に帰依し
た行動様式すらある。

三橋敏雄という俳人に

太陽の上がれる春を惜しみけり

という一句があるが、この句の魅力は
まさに太陽に真向かう一人の人間としての
純粋な感動というものがベースになっている。
この尊厳の対象としての太陽の姿

しかし
この太陽そのものも
今も想像を超える規模の
核爆発を繰り返していることに考えが及ぶ時
複雑な思いを抱くことにもなる。

太陽が核爆発をすることによる
恩恵が
我々人類の生存を保証してくれているという
この冷徹な事実は
今般の原子力発電所事故の被災者である
私たちにとって打ちのめす。

ああ神はなんということをなさる。

以上 悶絶しながらの現場からでした。


  

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2012年01月11日

年賀状のこと メディアの犯罪のこと

新年を迎えた。
例年は100枚くらい年賀状を書いていたものだが、
「おめでとう」という気分が全くないことから
一枚も書かなかった。
また、これまで私から賀状を受け取っていた人たちも
私の立場を気遣ってくれたためか
はたまた私の現住所が不明のためか
ほとんどの方からは受け取らなかった。
そんな中
私の現況をよく知っている親友から頂戴した
賀状には励まされたりした。

この一年はさまざまな点で
私個人にとっては勿論のこと
ニッポンという国や世界も
大きな節目の年のなりそうな予感がしている。

国家と個人の関係は?
この問題が赤裸々になるだろう。

今般の事態は
間違いなく国策が引き起こした事故である。
状況的に言えば
直接的な被害者は私を含む数万人から十数万人であるが
今回の事故をきっかけとする
自然環境の汚染について言えば
ニッポンはもとより
世界も深刻な被害者たり得る。

思えば原爆の平和利用などという
空手形を信用させた国の責任が最も大きいが
まんまと信頼してしまった
国民にも責任の一端はある、
否、いわば一種の国家的な詐欺行為である以上
まずは国がきちんと自身の罪を認めることからしか
事は動かないはずなのに
当事者である東電を矢面に立てて
自分たちの罪については明確にしない
国の態度には苛立ちを覚えている。

しかしながら、最終的には
賠償という形で認めるようになるだろうと信じている。

・・・

テレビというメデイアの凋落が言われて久しい。
家にいればついついチャンネルを回してしまうが
どの局の番組も
極めて貧しい内容、というよりも
これまた確信犯的、犯罪的なものばかりで
愕然として電源を切ることを繰り返している。
メデイアという「マス(大衆)」を狙った
国家的な犯罪だろう。

つまり国家とういものは
国民一人一人が物事を深く考えないことが
都合がいいらしい。
だからできるだけ低予算で番組を作りたいという
テレビ局側の経済的な論理を
上手く利用しながら
いわゆる吉本興業に代表される
お笑いタレントを使って
極めて時間消費的で
浅薄な番組を垂れ流している。

また視聴率という基準に一喜一憂する
側に広告代理店たちの
経済市場主義からの要請が
これを後押しし、
結果的に私たちは
非常に貧しい番組を見せられながら
いつのまにか
物事を深く考えないように
仕向けられているのだ。

これはテレビに限らない。
新聞や雑誌という活字メディアも同罪である。
なぜならテレビ番組を作っている放送局も
新聞、雑誌を発刊している会社も
実際は大手数社に絞られる。
わかりやすく言えば
日本を代表するといわれる四大新聞社。

産経 毎日 朝日 そして世界的にも最大の発行部数を誇る
読売新聞である。

これらの新聞社が
毎日毎日 新聞を発行し
毎日毎日 テレビ番組を流し
毎週毎週 それぞれの週刊誌を発刊し
毎月毎月 月刊誌を出している。

考えみてほしい。
彼らの行為は購読者数や視聴率
というものをベースに
市場原理主義的な立場に立っている。
つまりは経営を行っているのだ。
経営を永続させるためには
当然ながら
顧客を獲得し続けなければならない。

できるだけ多くの顧客を獲得するためには
常に新しい顧客を開拓・創造するために
新商品を出し続けなければならない。
そのためには
手を変え品を変え
流行を作り出すべく企業努力を続けることになる。

そして
時の政府やさまざまな権威、権力の
意向を汲むjことが要諦である。

う~む、今日は時間がないので
この辺で終わりますが
この問題は実に根が深いので
もう少し整理してからにします。

私たちはもっともっと
考えることを
しなければなりません。

今年最初のブログは
尻切れトンボになりましたが
この一年がそうならないように
したいと切実に思いながら
以上 現場からでした。










  

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2011年12月30日

2011の最後を騎西高校で見届ける個人的な理由

今 埼玉県加須市の騎西高校の
冷え冷えとした校舎4階の廊下に設置されている
NEC提供のパソコンの前に座っている。

平成23年という年が
自分にとってどういうものであったかを
しみじみ考えるためにも
郡山ではなく騎西高校で新年を迎えることを
選択した結果である。

私はあくまで原発事故の被災者である。
東日本大震災自体はそのきっかけに過ぎない。

原発事故によりこれまでも
長い間避難を余儀なくされ
これからいつまで避難生活を続けなければならないのか
が一向にわからない。

仕事の都合により
私にとってもっとも身近な存在である
家族とも離れていることで
自分自身のバランスが取れないときもある。

また私自身を良くも悪くも規制してきた
「家」や「故郷」もっと言えば「国」
というものに対する考えも
大きく変容し始めている気がする。

この辺については
今回をきっかけに
ゆっくり思考を重ねたいと思っている。

そういう意味では
平成23年という時間は
これまでの私の
アイデンティティに大きく
ゆさぶりをかけたことになる。

今日
長野で国語科の教師をしている
大学時代の友人が
知り合いから借りた
軽トラックに長野産のりんごをつけて
騎西高校を訪ねて来てくれることになっている。

彼は4月初め
さいたまスーパーアリーナに
私たち双葉町民が大挙して移ってきたことを
マスメディアで知り
すぐに訪ねてきてくれた友人だ。

実際これには感動した。
なぜなら双葉町民6800名のうちの
約1400名といえば20%くらいの比率。
携帯電話嫌いの彼は
事前の確認もないまま
遠路長野県から数時間をかけ、リュックを背負い
電車やバスを乗り継いで来てくれたというのだ。

大学時代以来の再会を果たしたわけだが
当時の私には
なにごとかを語り合うには
精神的な余裕がまったくなく
再会は1時間足らずであった。

その彼から先日連絡が入り
今日また会うことになった。

嬉しくないわけがない。

というわけで今年最後のブログになるだろう。

来年2012年は人類レベルでも
きわめて大きな年になりそうだが
わたくし個人にとっても
何か決定的な年になる予感がしている。

みなさん どうか よい年をお迎えください。

以上、埼玉騎西高校4階廊下の
現場からでした。  

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2011年12月29日

愛があれば年の瀬なんて

産学社から『@Fukushima』という本が出版された。1700円。
是非ご購読いただきたいです。

実はこの私のブログがきっかけで
8月末だったか、ある方から取材の依頼が入り、
私が埼玉の騎西高校に戻った際に
インタビューを受けた時の内容が
そのまま活字になっている。
そして、録音の内容そのままであったことに驚いた。

私以外にも相当数の方の証言が載っているが
たぶんほかの方々も
録音のままの活字であったことに驚いているだろう。
つまりは本を出す際の編集理念として
できるだけ証言者の生々しい息遣いを
再現することを心掛けた結果でしょう。

改めて自分の言葉を客観的に眺めてみると
いろいろと残念だなあと思う点がある。
一つは、感情が先走ると
私の体から矢継ぎ早に発せられる言葉に
私自身が追いついていけないもどかしさ。
二つに、その結果浮ついた言葉が
勝手に独り歩きしてしまい、
時に、何を言いたかったのか受け取り手に取って
理解不明であること。
三つ目に、一度発せられた事実誤認の発言は
取り返しがつかないこと。
等々、
校正という作業が入れば防ぐこともできたが
先のような編集理念もあったため叶わなかった。

しかし、かえって今の自分が表現されているとも言える。
平成23年9月中旬時点の私が考えていたことが
いわばタイムカプセルのように
活字に収まっているとでも言えばいいだろうか。

そして思うのだ。
言葉は一国の政治家の生命をも奪うことがあるくらい
重要なもの。
言葉こそ人と人がコミュニケーションをとるときに
最も重要なツール。
何事かを発信するものは(もちろんこのブログもまったく一緒だ)
自分から発せられた言葉に責任を持たなければならない。

なぜなら言葉こそ「その人」だからだ。

う~む、なんて思索的な発言だろう。

そんなことを考えるためにも
是非この本を購入いただきたいと思います。
この本が一冊売れるたびに
その売り上げの相当部分が
被災者救済に充てられるようです。

愛があれば年の瀬なんて

師走だな~ 君といる時が一番
しわすなんだ

この勢いのまま私の平成23年度は
暮れてゆくのであった。

以上現場からでした。



  

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2011年12月28日

年末年始は騎西高校で過ごすぞ の巻

先日騎西高校に行ってきた。
甥っ子の就職が東京の石材店に決まり
親代わりで一緒に挨拶に行く為だった。

今回も1日だけの滞在。
7月以降何度郡山と騎西高校の間を
往復しただろう。
東北自動車道の走行にも
だいぶ慣れ始めている。

7月までの3ヵ月間は
結構楽しい時間を過ごしてもいた。
毎日いろいろなボランティアの方が訪れ、
甲斐甲斐しく世話してくれたり
多くのイベントも行われた。
マスメディアも連日押し寄せ、
嫌いじゃない私は
半ばいい加減に取材に応じてもいた。

騎西高校に避難している人々の間でも
多くの事が起こった。
ほとんどはお互いの言葉遣いが原因で
困惑やイライラを引き起こしたが
徐々に自然発生的なルールが生まれ
2カ月も経つと
きわめて穏やかな時間が流れるようになった。

しかし、7月以降私は郡山に移り、
一時は騎西高校に1200名くらいいた
双葉町民が徐々に減り始め
現在は約3分の1の400名位になった。
それと歩調を合わせるように
イベントやボランティアの数も大きく減り
平穏ながら
少し寂しい感じもする。

それに加えて校舎は高齢者の比率が高まった分
なんとなくくたびれた雰囲気もある。
そのため一日だけの滞在では
憂鬱なだけ。
それが二日もいると結構以前の空気を味わえて
心楽しくなったりもする。

ということで
この年末は
家族のいる騎西高校に帰ることにした。
12月30日から1月3日までの5日間滞在する予定だ。

一つ楽しみがあるのは
30日に長野の友人が
リンゴをもって
軽トラックで訪ねて来てくれる事。
思えば彼は4月の始め
スーパーアリーナに双葉町民1400名が
避難したというニュースを聞いて
そこに私がいるかどうかを確認しないまま
長野から駆けつけてくれた
大学時代の素朴な友人だ。
なんというのだろう、
そんな友人を持てた事がうれしかった。

そんなわけで今年も暮れてゆく。
来年が良い年かどうかは分からないが
どのような一年であっても
自分自身を見失わない理性と
主体的に生きる熱情を持って
生きてゆこうと思っている。

なんとなく、最後までかっこいい私であった。

以上、現場からの報告でした。  

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2011年12月24日

中学時代の同級生が18人も集まったの巻

飯坂温泉摺上亭大鳥において
中学校時代の同級会が行われ出席。
今般の事故以降
多くの同級生も
全国に散らばっているであろうが、
福島県内、それも郡山市や福島市に
避難している人も、
たぶん結構いるに違いない。
昨晩集まったのは女子8名、男子10名、先生2名の
総勢20名御一行様。
夕方6時20分ころから
宴会場で集合写真を撮影。
翌日配られた写真を見て
一番老けているのが私。
ほとんど「先生の同級生」ってな感じで愕然。

撮影後、いよいよ宴会。
実はその2時間前から皆結構飲んでいたので
飲み放題の宴会ではあまりピッチが上がらなかったが
それなりの酒量は喉の中に注がれた。

予定の2時間が過ぎ
例によって
カラオケ。
「こんな避難生活の中では
歌なんて歌う気にならないぞ」
と言っていた私が
気が付くとマイクをもって
がなり立てていた。

延長に次ぐ延長の末
今度は
外で飲むこととなり
友人3人でタクシーを走らせる。

そんなわけで
やや睡眠不足のまま
今日は午後から出社して
パソコンに向かっている。

同級生って本当にいいものだ。
いつでも時間が
40年前にワープしてゆける。
君、ちゃんづけで
にぎやかな集まりだった。

帰りの車の中でしみじみ思ったものだ。

宴会席上いろいろな話の中に登場した
各人のそれぞれの思い出の総量は
今回の原発事故によって
ほとんど失われるのだ。

これはかなしいことだ。
しかしこうも言えるかもしれない。

私たちの中学校時代を含む
それぞれの54年間という時間の
総量が
いま、いよいよ珠玉の物語となった。

以上、二日酔いの現場からでした。  

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2011年12月22日

政治とは「言葉」である考 メモ

いよいよ歳末。
今までであれば年末年始の準備に余念なく
大みそかの夜7時まで仕事をし
翌日元旦は朝8時から初売りの準備だったが
今回ばかりはそれがない。
まあなんというかゆっくりしている。

しかし、7月5日に
騎西高校から郡山に移って以降は
なんだか忙しい時間を過ごしてはいる。
朝9時前後に郡山事務所に来て、
労務、総務の作業を行い、
時に営業の支援を行っている。
夕方はだいたい6時まで。
これまでは退社するのが7時か8時だった事を思えば
肉体的にはずいぶん緩やかだ。

そしていよいよ歳末。
今年は12月29日から
来年1月4日までは
さらにゆっくりしようと考えている。
これは現実だろうか?

ああ、貧乏性が体から抜けきらない。

これから年末にかけて2011年を振り返った
番組が茶の間に流れるだろう。
そしてその中で
今般の東日本大震災や
原発事故が大きく取り上げられるだろう。
きちんと総括したいという気分と
見たくないという気分が同居している。

東日本大震災は時間の経過とともに
復興に向かって進捗しているし
近い将来 必ず復興するだろう。
しかし、
総理大臣の宣言とは別に
原発事故の収束は
その見取り図さえない。

政治とは「言葉」である。
馬淵大臣は「あまり言葉尻をとらえないで欲しい」と言った。
馬淵さんの意図する事は理解できるが
残念ながら
言葉とはいつかしら発した本人の意図とは別に
独り歩きしてゆく。
言葉の怖さはまさにこのことに尽きる。
鉢呂大臣の舌禍事件や
その他多くの議員が自らの
議員生命を縮めた例は枚挙にいとまがないのは
周知の事実だが、
あれは「言葉」が持っている特性である。

ところで、
多分私が生きている間
私の家で生活する事はないだろう。
この現実を思うと
無性にさびしくなるし
憤る気持ちが湧き起こってくる。

しかし、幸いにも
私が今いるのは
パラレルワールド。
せいぜいこのパラレルな世界の中で
自分自身を相対化させながら
改めて自分というものを
捉え直して行こうと思っている。

以上、歳末のパラレルワールドからの報告でした。



  

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2011年12月18日

高速道路3万キロ走行近し。

驚いている。
数日前の私のブログへのアクセス数が異常値を示した。
これは何かの組織的な犯行ではないかと疑ったが
実際ネットという媒体では何かがヒットすると
こういう現象が起きるものらしい。

今回の場合「一時立ち入り」というキーワードが
その役割を果たしたようである。

ここ数日忙しい時間を過ごした
東京目白駅前でアパート経営していた
母の妹が82歳で亡くなり、
葬儀には加須市騎西高校にいる母に
言ってもらう予定でいたが
前日の14日になって
その母がめまいがひどいということになり
私も同行することとして
急きょ14日の早朝加須に向かった。
私自身小学校に入る以前から
そのおばにはお世話になり
お焼香できたことはよかったと考えている。
15日に新宿の落合斎場で葬儀。
つごう14・15日の2日間は久方ぶりに
騎西高校の4-F教室に泊まった。
(郡山に移ってからは騎西に帰省しても
せいぜい1日だけであったが今回ばかりは
2日間滞在した)
1日だけではなんだか調子がでなかったが
2日いると「ああこの感じだ」と
かつて3か月を過ごした記憶がイキイキとして来る。
同じ部屋の人と二晩したたかに飲んだ。

16日早朝羽生インターから東北道に乗り
2時間余りで郡山に到着。
ネットショップその他の打ち合わせを行い、その夜
したたかに飲んだ。

そして17日午前、今度は私が所属している
会の集まりがあり、群馬県まで車を走らせた。
今回の震災および原発事故では
会のみなさんに大変な心配をいただいていたこともあり、
一段落した様子を報告すべく参加した。
そして、したたかに飲んだ。

今日は18日。今朝9時ころ前橋のホテルを出発して
北関東自動車道から東北道に乗り
11時30分郡山のアパートに到着。

今、パソコンの前にいる。

この間に走った距離数と飲んだアルコールの量は
近年にないものであるが、
といって別に誇るものでもない。

途中那須高原から白河あたりで雪が舞ったりし、
雪道の構想道路に不慣れな私は
少しドキドキしたが鏡石まで来ると太陽が出てきた。

思えば今回の避難生活では
頻繁に高速道路を使用。
高速無料化には感謝しているが、
すでに2万5000キロ以上は走っているだろう。
3・11前までは年間1万キロ前後しか走らなかったのに
この9か月ですでに2万5000キロだ。
このままでは3万キロを超すのは時間の問題だろう。


以上、パラレルワールドの現場からでした。



  

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